お前変わってんな!

キチガイだけどマジメな女の備忘録

なんて幸せなんだろうと、ふと、思う

 

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なんて幸せなんだろうと、しばしば思う。
 
この前も、職場に向かう電車の中でしみじみと幸せを感じた。朝6時には車内にいたけれど、昇り立ての朝日が強くて強くて。
眩しい、と、幸せ、が一緒にこみ上げてきた。
 
 
26歳、おんな。仕事は中国語の通訳。
私自身にめちゃくちゃお金があるわけでも、大企業にいるわけでも、ない。
友達も特別多くない。交友は、狭く、深い。
基本は楽観的だけれど、いつもハッピーなわけでもない。イライラすることも、悲しくなることも多々ある。
 
持っていない、わけではない。でも、特別何かを持っているわけではない。
 
それでもなんでこんなに幸せで幸せで仕方なくなるのだろうか。
不思議になって考えてみた。
 
 

自分で考えて考えて、自分で選んできた。

 
なんでこんなに幸せなのか、しばらくの間考えてみると、これに着きた。
 
思えば、ここ何年かは選択の連続だった。学生の頃からだ。留学の時期。吹奏楽部を続けるか辞めるか。そして、就活。あげるとキリがない。
 
社会人になってからも変わらない。新卒で入った会社で1日十何時間働いて身体が続かなくなり、4ヶ月で辞めるという選択をした。
 
退職後、せっかく社会のレールから外れたし、好きな方に行ってみようと、アロマセラピーの国際資格を取ることを決めた。資格取得後、その勉強の過程で得た皮膚や身体に関する知識と、元から持っていた中国語を合わせて、通訳の仕事をすることに決めた。
 
仕事だけじゃない。
20歳年上の恋人とのことについても考え抜いた。将来的に一緒にいたいのか、別れるのか。彼を大事にし続けられるか。彼の子供が欲しいか。幸せにできるのか。考え抜いたのち、自分から彼に結婚を申し込んだ。
 
きっと誰にでも起こりうる選択の連続を、本当に自問自答だけして選んできた。
努めて、極めて自己中に。
 

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考えるってしんどい。それでも...

 
考えていると、自分でも自分がよくわからなくなる。堂々巡りになることもあるし、いつのまにか本質から外れて違うことを考えていたり。考えるって基本は面倒臭い。やめたくなる。放棄して、もういいかって言いたくなる。
 
でも、考えることだけは辞めなかった。自分の人生、全部自分で決めたいし、放棄したくない。そこに何の影響も無い状態にしたくて、誰かに相談もしなかった。
 
それによって得たものは、今の幸福な気持ちの根底にある、圧倒的な納得感だった。
 
 
 

圧倒的な納得感が幸せに繋がる

 
私はいま、自分の好きなものに囲まれて、中国語というスキルを発揮できている。それに、大事な人々が幸いなことに健康だし、思い合えている。
 
たしかにそれも幸福だけれど、それだけでなく。
 
誰にどう思われるとか、家族がどうだとか、世間的にどうだとかは考えず、自分にとって何が幸せかを考えて考えて、脳みそを絞りきって選択してきた。
 
この、自分で選べて納得してると言う、圧倒的納得感。揺るぎようがない、自分の人生を生きているという感覚。
これか、と目を刺すような朝日の中で思った。
 
この幸福感の正体は、圧倒的な納得感だったんだ。
 
 

これからも、自分で選んで生きていく

 
もっと前は、全然自分で選んでいなかった。
色んな人に相談し、それを鵜呑みにすることさえあったし、そこまでじゃなくても影響はかなり受けていた気がする。
 
それでもある時、ふと思ったことがあって
その時の気づきが、今の幸福感に繋がっている。
 
明日、ここから私が死んで居なくなっても、この場所はいつも通り回る。悲しむ人が居てくれたとしても、社会の中は何も変わらない。学校でも、仕事場でも、街中でも同じ。何も変わらない。私が生きたいように生きても、生きなくても何も変わらない。
じゃあ、自分で考え抜いて、生きたいように生きた方が良い。
 
そして、それはあなたも同じ。感じ方は違えど、事実は同じ。
 
幸福感いっぱいの人が増えたらいいな。
 
 
そう思ううちに、朝日が昇りきった。
 

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